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2005年08月22日

体験メディアとプライバシー

これは、ブログのおかげで特に顕著になった現象のような気がすることだけど、不特定多数の人が目にするネット上に、きわめて個人的で他人には割とどうでもいいことを日記として書いているのを見るにつけ、人の自己顕示欲の強さを感じている(この文章も似たようなものかも知れないけれど)。

「その日にやったこと」をつらつら書いている人がいて、他人事ながら「この人は何を考えて、こういうものを書いているのだろうか」などと思ったりする。

まあ、それもメッセージだと言うのならそれでもいいのだけど、ならもうすこし背景などを書いて、それなりの物語にでもして欲しいものである(過去の日記から続けて読めば、物語になっているのかも知れないけれど)。

プライバシーを公開することで得られる、ゆるいつながり感みたいなものがうれしい人もいるかも知れない。
とにかく、(一部の)プライバシーのネット開示は、通常のコミュニケーションがどんどんぎこちなくなってきた人間社会を多少なりとも楽しくする効果があるのだろう。

余談であるが、ある大学に非常勤講師として呼ばれた企業の人が講義のため教室に入ったところ、そこにいる学生の誰からも挨拶(「おはようございます」的な簡単なやつ)がなかったことを異常だと思って、大学の担当者に注意した、という話を聞いた。
その結果、多少の改善がなされたそうである。
おそらく、しばらくして元に戻ったと思うけれど。
僕は講義の冒頭で挨拶をするようにしているが、僕が挨拶する前に、学生から自発的に挨拶をされたことは未だかつてない。
その程度の挨拶すらまともにできない人たちにまともなコミュニケーションなどできるはずがない。

閑話休題。

さて、オンライン日記と関連して、人間の体験(の記録)をほぼ自動的にコンピュータに取り込んで、オンラインで検索・閲覧・共有を可能にしようという研究が比較的頻繁に行われるようになってきた。
この仕組みによって生成されるデータを体験メディアあるいは体験コンテンツと呼んでいる。

東大のライフログと呼ばれる研究や、ATRの体験キャプチャと呼ばれる研究は、人間の行動を詳細に記録して、時間や場所による検索を可能にして、自分の記憶の想起や他者の行動分析に使おうとするものである。
環境に埋め込まれたカメラやマイク、また個人が携帯する(あるいは、装着する)カメラやマイクで人間の行動風景を記録するのである。
これらの研究は、いかに詳細に行動記録を取るかということがメインで、それをどう使うかという点で見るべきものがあまりない。

しかし、行動を詳細に記録することで初めて可能になることはいろいろあるだろう。
一番分かりやすい例は「犯罪の防止」である。

「今、私はあなたの顔と声を記録しています。私に危害が加えられた場合は、この映像が自動的に警察に送られるようになっています」って宣言すれば、暴力事件は軽減できるのではないだろうか。
また、環境設置型のカメラに犯罪抑制効果があるのはおそらく間違いないと思う(街中でいつのまにか自分の行動が撮られているのはあまり気分のよいものではないが)。

それはよいとして、もう少しポジティブに役に立つ使い方があるだろう。
その一つが体験をコンテンツとして利用することである。

たとえば、Flickrは写真の共有によって、体験の共有ができる。
それによって、自らの体験にさらなる意味づけをすることができる。

以前にここに書いた、知的な乗り物ATも体験を共有するツールとなる。
ATには、無線サーバー内蔵のカメラが装着されており、映像と音声を配信することができる。
ATは移動しながら、周囲の風景を撮影するだけでなく、ATを降りた人間を自動的に追尾して、その人のやっていることを撮影したりすることもできる。
さらに、面白いことに、ATは人間の行動の記録を撮ると同時に、自らの持つさまざまな文脈情報を一緒に記録するので、時間や速度や位置や方向はもちろん、移動軌跡や人間との距離や周囲の移動体に関する情報まで行動記録に含めることができる。
また、この情報に基づいて、ほぼ同じような行動(移動)を再現できる。
つまり、以前に来たことのある場所かどうか、すぐにわかるだけでなく、そのときに、どういう経路でどの場所にどのくらいの間いてどちらの方角を向いていたか、などを再現できるのである。

体験共有は長い時間を越えて行われることもある。
ある作家がある場所を訪れて何かを感じ小説を書いたその場所に、その作家の死後百年後に訪れて、同じような状況を再現し(もちろん風景は変わっているだろうけど)、同じように感慨にふける、ということが可能になるだろう。
あの有名な作品はここに来たことがきっかけになった、などの豆知識があると、さらに面白さが増すことだろう。

体験コンテンツは、その原体験者がどのような生涯を送り、社会に何をなしたか、によってより多くの価値を持つことになるだろう。

さて、もう一つ考えなければならないことは、もちろん、プライバシーの問題である。

個人の体験記録を他人が閲覧可能にすることは、言うまでもなく、プライバシーの開示である。
しかし、開示する側が、内容や閲覧可能者を制限できるようにすることで、被害や不利益を最小限にすることができるだろう。
これは、Flickrのような写真による体験共有システムと同様である。

しかし、他人の体験記録中にたまたま撮られてしまった人のプライバシーはどうなるのか。
これは、防犯用の環境設置型カメラに撮られてしまった人のプライバシーの扱いとは異なるだろう。
個人が撮影する体験記録は、他人に見せることを想定して記録を撮っているからだ。

僕らは、写真やビデオに撮られた人が、それらのコンテンツがネット上で公開されているかどうかを知るための仕組みを考えている。
その仕組みによって、自分がいつどのカメラで撮られていて、それがどの程度自分のプライバシーを侵害しているかを確認することができる。
その結果、公開を差し止める(あるいは自分の映像や音声にエフェクトをかけて、誰だかわからないようにする)ことができるようになるだろう。
芸能人なんかは、毎日その手のデータをチェックしないといけなくなるかも。
あるいは、大物政治家などが、よからぬ行いをしているところが誰かの体験コンテンツに収められてしまったとして、その撮影者にいろいろと圧力をかけてくるだろうが、もし、その人がジャーナリストを目指しているならば、そんな圧力に屈してはいけない(何かちょっと矛盾したことを書いている気がする。ま、いいか)。

その仕組みのためには、現在のカメラではダメで、ちょっと細工をしなければならないのだけど、盗撮等を防止するためとか何とかもっともらしい理由をつけて、その仕掛けのないカメラは販売できないようにすればよいだろう。

そういえば、ソニーのビデオカメラにNightShotと呼ばれる、近赤外線による暗視装置がついていて、それを使うと白っぽい服が透けて撮影できるとかいう話が昔あった。
この会社は犯罪を助長するのか、と思ったが(当時、ソニーの研究所にいたので、複雑な気分だった)、案の定、このカメラは販売禁止になった(たぶん)。

体験共有とプライバシー保護は表裏一体の問題である。
日記を公開している人は、それを共有することの意義、あるいは、プライバシーを開示することの意義を、ほんのちょっとでよいから考えてみるとよいと思う。

未だにこんな宿題が出されているかどうか知らないが、夏休みの日記を書き忘れた小学生は、宿題を出した教師にこう言えばいいのである。
「もちろん、日記は毎日つけました。でも、これはプライバシーですので、残念ながら先生にお見せすることはできません。」
僕ならそんなまぬけな宿題は出さないけれど。

投稿者 nagao : 2005年08月22日 00:07

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