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2008年08月10日

先駆者になるために

4年ほど前に、僕たちが研究開発している個人用知的移動体ATを、アメリカのMITのある教授に見せたときにこう言われた。

「これはアナザー・セグウェイ(要するに、セグウェイの二番煎じという意味)か」

それに対して、僕は、ATとセグウェイの違い(立ち乗り用から座り乗り用への変形機能、無線による連携協調走行機能など)を説明した後で、「これはセグウェイではない。ATという新しい乗り物だ」と言った。

確かに、セグウェイに影響を受けたことは間違いない。
しかし、僕たちはセグウェイの先にあるものを作ろうとしているのであり、アナザー・セグウェイと呼ばれるようなものを作っているのではない。

しかし、トヨタが先日発表したウィングレットという乗り物は、アナザー・セグウェイとしか言いようがない。
「自分たちはセグウェイをより小さく作れます」ということを誇示したいためにこれを作ったのだろうか。

セグウェイと違って体重移動で旋回できる(さらに、両手放しでも操縦できる)と言いたいのかも知れないが、初代のセグウェイは確かにハンドルに付いている回転式のグリップを回す(バイクのスロットルと同じ要領)と旋回するダメインタフェースだったが、2世代目で改良されて、ハンドルを左右に傾けると旋回する仕組みに変更されている。

ウィングレットも、似たような仕組みではないだろうか。
つまり、中央にあるステアリングユニットと呼ばれる部分を左右に傾けることによって旋回するのではないだろうか。
そうじゃないのなら、手放しで乗るタイプでは中央の股に挟む部分はなくてもよいはずだろう。

こういうものを、日本を代表する大企業が誇らしげに発表しているのを見て、日本の企業はもう先駆者にはなれないのではないかと不安になった。

先駆者になるために必要なことは、新しい発想を持ち、新しい発見をし、新しい何かを創造することだ。
インスパイヤされたものがあるにしても、そのオリジナルなものから大きく発展させるべきである。
ほとんど焼き直しに過ぎないものを作って示しても先駆者とはみなされないし、かえって評判を下げるだけではないのだろうか。

僕は、セグウェイの示した、直感的に操縦できる小型で立ち乗り型の電動移動体というコンセプトは素晴らしいと思って、その先にあるものを見てみたいと思った。
それがATを開発した動機であり、その点では僕たちは先駆者ではない。
できれば、自動走行可能で絶対に衝突しない個人用知的移動体というコンセプトで先駆者になりたいと思っているが、全方位移動とレンジセンサーだけでそれが可能になるわけではないので、先駆者となるためにはまだまだ多くの研究が必要だろう。

インパクトの大きさが重要で、安全性をあまり気にしなくてもよいのなら、ウィングレットはもっと違うアピールの仕方があったのではないだろうか。
あれほどまでモーターと筐体を小さくできるのなら、ブーツ型の装着モビリティマシンにすればよいと思う。
手放しで乗るタイプなど、ローラースケートにモーターが付いているようなものと、走っているときの見た目の印象がほとんど変わらないのだから、筐体を2つに分割して、片足づつに固定すればよい。
2つのモーターを連動させるためには、腰にコントロールユニット付きのベルトを巻いて、ベルトから両足にケーブルを通せばよいだろう。
ついでに、ベルトにバッテリーを装着できるようにすれば、バッテリーの交換も楽になるだろう。

靴の拡張としての電動の乗り物なら、コンセプトとしてもセグウェイの二番煎じにはならないと思う。
日本では、(軍事利用のためでなく)福祉利用を目指した装着型ロボット(筑波大のロボットスーツHALやホンダの歩行アシストなど)の研究もそれなりに盛んだから、アタッチメントによる身体機能強化マシンは、結構、日本人が先駆者になれる可能性があるのではないだろうか。

平地での移動に関しては、筑波大やホンダのシステムのように人間の筋力を補強するよりも、足にインテリジェントな車輪を付ける方が効率的だろう。
僕が開発担当者なら、さらに横方向の移動も可能になるように工夫しただろうと思う(いつか機会があれば本当に実現してみたいと思う)。

前々回のエントリーに書いたような、ブラザー工業の網膜走査ディスプレイとも組み合わせれば、移動と連動した情報も提示できるし、周囲にある危険物や接近する移動体に関する情報と共に警告を与えることができるだろう。

以前に、ヤマハ発動機がスケボー型の電動移動マシン(無論、体重移動でコントロールする)を開発したときに、あまり実用性はないようだけれど面白いものを作るなあ、と思っていた(結局、製品化はされなかったようだ)。
見た目はスケボーそのものだが、さまざまなテクノロジーが組み込まれていて、操縦はスケボーとはちょっと違ったスポーツのようで、うまく走れるようになるとなかなか爽快だった。
これはほぼオリジナルな技術と呼んで構わないと思う。
しかし、ウィングレットはどうしてもセグウェイの斬新さの前では霞んでしまう。

少なくとも、あの素晴らしいi-unitを作ったトヨタが作るべきものではないと思う。
もし、ヤマハ発動機がこの手のものを開発・実用化したならば、電動バイクやスケボーを開発した経験を活かして、セグウェイとの違いを強調した、先駆的でスポーティな乗り物にすることができたのではないだろうか。

先駆的な民生用デバイスのiPodやiPhoneを日本企業が作れなかった理由は何か、などの議論はいろいろあるけれど、先駆者になって新たな市場を開拓しようとする気概が企業の経営者から失われてきたことが大きいのではないだろうか。

二番煎じでも無難なものを作ろう、面白くなくてもいいから確実に売れるものを作ろう、どんな機能が必要かはよくわからないから、とりあえず思いつくものは全部付けてしまえ、なんていう発想でモノ作りをしているのではないだろうか。

僕が日本の大企業の中で先駆者であると思っているのは、現在では、たとえば任天堂である。
僕はゲームマシンそのものにはあまり興味はないけれど、新しいコンセプトをどんどん提案して、日常的なライフスタイルにも多大な影響を与えている状況(Wiiで健康管理をしたり、Nintendo DSで読書をする、など)は、任天堂が先駆者と呼ばれるにふさわしいことを示している。

アメリカでは、たとえば、AppleやAmazonが先駆者と呼ばれるにふさわしいだろう。
Appleは、言うまでもなくデジタルデバイスのユーザーインタフェースにおける、また、Amazonは(ロングテールを活かした)オンラインビジネスにおける先駆者である。
最近、Amazonは電子ブックにおけるiPodを目指して、Kindleと呼ばれるデバイスを販売し、新たなコンテンツ流通モデル(本のダウンロードのための無線通信を無料にする、など)を運用しているが、おそらく日本では普及しないのではないかと思う。

日本でKindleと競合するのは、携帯電話の配信サービスや、Nintendo DSのDSvisionだろう。
電子ブックの専用デバイスは日本ではほとんど普及していない(参考記事)。
Kindleが(少なくともアメリカで)成功するかどうかがはっきりするにはもう少し時間が必要だけれど、Amazonにできて(任天堂を除く)日本のメーカーにできなかったことは、ユーザーの視点に立って製品を開発すること、そして人々のライフスタイルを大きく変えるほどの未来を見据えたビジョンを持って製品開発に臨むことだろう。

ところで、たとえば、任天堂がNTTドコモと組んで、Nintendo DSを携帯電話としても使えるようにしたら、iPhoneに対抗できるだろうか。
あるいは、Apple TVがWiiリモコンのような直感的なコントローラで遊べる家庭用ゲームマシンとしても使えるようになったら、Wiiと勝負になるだろうか。
そのような競合状態になったら、僕はおそらく任天堂を応援するだろう(たぶん、DSとWiiの後継機を買います。だから、DSは画面をもっと大きくして、WiiはHDMI出力とBlu-ray Discの再生を可能にしてください。お願いします)。

先駆者である企業を盛り立てていきたいと思うユーザーは多いだろう(無論、僕もその一人である)。
そして、僕はこれからも先駆者になることを目指して研究をしていこうと思う。

投稿者 nagao : 09:27 | トラックバック

2008年08月08日

トレーサビリティの恐怖

以前に、WikiScannerというツールが話題になった。
Wikipediaの編集履歴を、編集者の使用マシンのドメインや項目ごとに検索可能にするものである。
つまり、(非ログイン)ユーザーがどのドメイン(IPアドレス)のマシンでWikipediaのどの項目のどの部分をどのように編集したのかわかるということである。
それによって、そのユーザーの編集の裏にある何らかの意図を読み取ることができる。
これを見て思ったことは、これでWikipediaが荒らされにくくなるだろうということだった。

これと同様の仕組みが、2ちゃんねるなどの匿名掲示板にも適用できるかも知れない。
誰が書き込んでいるかはわからないとしても、どんな組織に所属している者が書いたのかわかれば、内容が事実かどうかの判断材料の一つになるだろう。

しかし、このような技術の先にあるものは、ネット上の個人の活動を不特定多数が容易にトレース(追跡)できるようになるということである。
それって、要するに衆人環視ということじゃないか。
WikiScannerは編集した個人を特定することはできないが、候補者を絞り込むことはできる。
そして、候補者全員に与えられる評判が、個人の行動を規制することにつながる(実際、WikiScannerでドメインごとの編集履歴が公開された結果、Wikipediaの編集をできないようにする措置が採られた組織もあるそうだ)。

僕は、この技術は作ってはいけないものの一つであるような気がしてならない。
確かに、匿名で悪さをする人はなくならないし、何らかのルールによってユーザーの行動を規制できるのならやった方がよいとは思うけれど、自分のサイトが荒らされたくないのならば、WikiScannerのような仕組みを使って組織(ドメイン)ごと吊るし上げるのではなく、そのサイトの趣旨を理解してもらえるようによく説明した上で、匿名による書き込みができないようにするべきだろう(個人情報の管理までしなければならないのはやっかいだが)。
ドメイン全体として規制するのは間違ったやり方だと思う(ちなみに、名古屋大学のIPアドレスからはWikipediaの編集ができないようになっているらしい。いつぞやの落書き事件が原因だろうか)。

ネット社会はすでに監視社会だと言っている人もいるし、クレジットカードの履歴データなどから個人の生活のある程度の部分が露呈してしまう、という危険性は以前からあった。
クレジットカードの例は、クレジットカード番号を含むデータが、クレジットカード会社や店舗などから流出した場合にのみアウトなのだけど、個人情報というのはたいてい分散しているから、断片的なデータをかき集めて分析したときに、それぞれのデータを個別に眺めていてもわからなかったことが見えてくることがある。
いわゆるデータマイニングと呼ばれる技術を使って、大量の断片的な個人情報が統合されることによって、本人しか知り得なかった(場合によっては本人も気づいていなかった)個人の特性や生活パターンなどが顕在化するのである。

この問題は、クレジットカード番号のような、個人と1対1対応になるIDがデータに含まれていなければよいような気もするが、名前や住所(の一部)や所属名など、普段あまり秘密にすべき情報だと意識していないようなものが含まれていても、個人を特定し情報を集約する手がかりになってしまう。

さらに、情報と個人を関連付ける仕事を人力で行ったとしたら、機械にはとても推論不可能な問題も解けてしまうだろう。
たとえば、mixiなどのSNSで公開した断片的な個人情報と日記から、その人間の(公開している情報には含まれていない)現住所や所属などの個人情報まで第3者によって特定されてしまうことがある。

ネット社会の恐ろしさを痛感するのは、断片的な個人情報が集約されて、その人間の他人に知られたくない側面が露呈するだけでなく、その情報が多くの人間の関心と悪意を呼び込み、当人にコントロールできない形でその個人に関する情報が永続化されてしまっている状況を目にしたときである。
個人のプライバシーに関する永続化された(多分に憶測を含んでいる)情報が、その人のその後の人生にきわめて重大なダメージを与えてしまうことは容易に想像できる。

監視社会のベースとなる技術の波及効果が、防犯などのメリットを越えて拡大されるのはさすがにやばすぎる。
人間にはある程度のプライバシーが必要だ。
他者の視線を意識しないで活動できる自由が必要だ。
たとえ、ネット上の活動であっても、知らぬ間にトレースされているなんてまっぴらだ。
だから、僕は匿名性を完全に否定することはできない(無論、場合によっては匿名性を排除することもあるけれど)。
僕は匿名で発言するのは一般に無責任になりがちなのでよくないと思っていたが、トレースされないために匿名にするのはやむを得ないと思っている。

そして、テキスト情報だけでも十分にやばいのに、さらに画像情報が追加されると、問題は格段にやっかいなものになる。

Googleが2007年から公開しているGoogle Maps Street Viewの日本国内のコンテンツが最近になって公開開始されているが、日本の都市では個人の住宅内が道路から見えてしまう場合が多いため、無許可での個人の住宅の写真撮影とWeb公開が問題になっている。
また、アメリカ版では、車のナンバープレートがほとんど読めないようになっているが、日本版では、ところどころ(すべてではない)車のナンバーが読み取れるようになっている。
コンテンツを自らの力で構築することの重要さに気づいたGoogleの姿勢は評価したいところだけれど、日本版Street Viewの大胆さと傲慢さは多くの批判を集めることになるだろう(なんと、一般の住宅の塀の高さより高い位置から撮影できるようにカメラを設置しているらしい。それが本当ならほとんど犯罪ではないか)。
日本人ってずいぶんとGoogleに舐められているのだなあ、と思う。

360度の範囲を同時に撮影できるOmniCamと呼ばれるカメラや、パノラマ写真をWeb上でインタラクティブに閲覧可能にするQuickTime VRなどの技術は10年くらい前から存在したけれど、人海戦術で複数の都市内をくまなく撮影して、不特定多数の人に公開するなんてことを本気で実現する企業が現れるとは10年前には想像すらできなかった。

僕は、以前に「体験メディアとプライバシー」というエントリーで触れたように、個人が自分の体験を記録して公開する目的のために、周囲の映像を撮影することは許されるべきだと思っている(無論、盗撮の類は論外だが)。
しかし、同時に、公開するときに他者のプライバシーを侵害する危険性を考慮するべきだと思っている。

Street Viewは撮影された日時が明記されていないので、たとえ自分や自宅などが写っていても、それがいつのことか自動的に特定できないし、解像度もそれほど高くないので実害は少ないと考える人も多いかも知れない(ただ自分や家族が写っているだけで気持ちが悪いと思う人も少なくないだろうけど)。

しかし、Street Viewが個人情報を特定する材料にされることは間違いがないし、機械的には個人の特定がきわめて困難でも、ネット上の不特定多数の人力で行われるとしたらかなりの脅威である。
自宅のガレージに停めてある車のナンバーが識別できる状態になっていれば、その車の所有者の名前を調べることができるから、その家に誰が住んでいるのか特定するのはそれほど困難ではないだろう。
実際、アメリカのプライバシー保護団体がGoogleの取締役の一人の自宅や通勤経路をStreet View上で探し当て、ネットに公開した事実があったそうだ(参考記事)。
こういうことをやられて怒らない人間はいないだろう。
Googleの経営者やStreet Viewの担当者ならそのようなことが自分に対して行われることを覚悟しているのかも知れないが、自分の家族や恋人に対して同じことが行われたら、さすがに恐怖と怒りを感じるのではないだろうか。

個人情報を特定するための断片的情報が大量にあり、それらがネットで検索して容易に検証できるようになっているのはかなり危険なことである。
個人の行動が第3者にトレースされてしまうのは、ネット上のものであろうとなかろうと、完全に防ぎきれるものではないが、とてもまずいことであることは誰にでも理解できると思う。

食品や工業製品のトレーサビリティのように、公明正大なものなら、痛くもない腹を探られるくらいなら、可能な限りネットで公開して自己防衛手段とする、という考えもあるだろう。
それができないのは、何か後ろめたいことがあるからだ、という邪推をする人も出てくるかも知れない。
しかし、それは自分で自分の行動を記録して、自分が適切であると考える範囲で公開する場合のことである。
また、自分に関するプライバシー情報のコントロールが可能である場合である(コピペによる再配布を制御するのはかなり困難だと思うけれど)。

それにしても、Street Viewによって公開される個人のプライバシー情報に関するユーザーのコントローラビリティはきわめて限定されている(たとえば、画像の削除要請を出しても、削除されるまでに数日かかるという返事だったそうだ)。
技術的に解決できる部分がどのくらいあるのか、僕にはまだよくわからない。
もしかして、アメリカやヨーロッパでは実験できなかったことを日本で実験しているのだろうか。
Googleを盲目的に信じている連中はそれなりにいそうだから、そういう連中の善意を利用して、ありのままの世界情報を検索可能にする壮大な実験に大衆を巻き込もうとしているのだろうか。

しかし、お願いだから、個人の行動を第3者がトレース可能にする技術の開発はやめて欲しい。
Street Viewは少なくとも住宅街に関する情報を削除するべきだと思う(さらに、学校(大学を除く)の周辺の画像も)。

「法律的に検討した結果、公道から撮影したものであれば、基本的には公開して構わない」(参考記事)なんてことを本気で考えているのなら、多くの良識のある人たちを敵に回すことになりますよ。
お気をつけください、Googleさん。

投稿者 nagao : 23:15 | トラックバック