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2009年04月03日

会議革命、その後(後編)

僕は、最近になってようやく自分の間違いに気がついた。

議論のスキルが向上するために最も必要なものは、ツールを使いこなすテクニックではなく、議論への参加意欲だった。
だから、どんな支援ツールを開発して運用しても、参加意欲がわかないのならば、学生たちの議論スキルの向上には結びつかないだろう。
実は、ゼミの成績を決めるときに、彼らの発表数と発言数を用いているのだけど、それがインセンティブになって積極的に参加してくれるかと思ったら大間違いだった。

つまり、参加者の意欲を高めることにもっと注力すべきだった。
どんな会議でもそうなのかも知れないけれど、僕たちのミーティングでは、ほとんど発言しない人がいる。
成績に関係するからたくさん発言してください、と言ってもその直後くらいに、申し訳程度に一度か二度発言するだけで、後はずっと黙っている。
講義じゃないんだから、黙って聞いていればよいというものではない。

僕はどうして発言をしないのかずっと考えていたのだけど、参加意欲を高めることを自発的にできない人が結構いるということがだんだんわかってきた。
これは必ずしも頭の良さとは関係がない。
おそらく、自らの力で意欲を高める方法を学んでいないのであろう。
その習得は、主に体験によってなされる。
だから、会議の参加者が何らかのやり方で参加意欲を高めていく実践を積み重ねていかないと、いつまでたってもよい議論ができないのである。

僕たちの作成している会議コンテンツは、ゼミでの発表や発言がすべてビデオに記録されているから、ゼミ直後から自分の発表や自分に対する質問や意見を詳細に振り返ることができる。
僕は、発表者に必ず自分の発表のビデオを見るように言っている。
しかし、自分の発表をまったく振り返ろうとしない学生がいる。
これも意欲の問題なのだと思う。
ゼミで誰か(主に僕)に厳しいことを言われて嫌になり、さらにそれをビデオで見返して再び嫌な気分になることを恐れているのだと思う。

やはり、これは僕が学生たちの心に訴えかける努力を怠っていたからであろう。

前編で触れたファシリテーションには、ミーティングを含む組織活動に積極的に参加する(つまり、自分の頭でよく考えて行動する)動機付けを与え、意識改革を促進させる、という目的もあるそうである。

最近読んだ「ザ・ファシリテーター」(森 時彦著、ダイヤモンド社、2004)という本によると、グループダイナミックスと呼ばれる、小集団の心理を扱う学問があり、以下のような仮説があるそうだ。

他人との関係において、ひとは自分の心身を守るために、ある程度防衛的な関係を築こうとする。
米国の心理学者ギブは、その背景には懸念(恐怖や不信頼感)があると仮定し、それを4つ(受容・データ流動・目標形成・社会的統制)に分類した。
「受容」とは、自分自身や他者をメンバーとして受け入れることができるかどうかにかかわる懸念。
「データ流動」とは、「こんなことを言ってもいいのだろうか?」と不安になるような懸念。
「目標形成」とは、グループ活動の目標が理解できないことに起因する不安感。
「社会的統制」とは、グループ内で依存願望が満たされない場合に発生する不安感。
この4つの懸念を解消していくことにより、グループは成長し、メンバーも成長していく好循環が生まれるというのがギブの提唱した理論である。

僕は、研究室に配属された学生たちから、このような不安感を取り除くための努力は特に行ってこなかった。
上記のような不安感があるとしても、それはただの甘えだと思っていて、僕の方から歩み寄ることもなく、突き放した態度をとっていた。
学生たちと馴れ合いの関係になりたくないという僕の気持ちが、当然のように彼らとの距離を作っていた。
僕のそういう態度は学生たちにはかなりのプレッシャーだっただろう。
そういうプレッシャーに打ち勝ってきた学生(それから、もともとそれほど不安感を持つことのない、どちらかというと脳天気な学生)はそれなりに積極的に議論に参加し、目覚ましく成長した。
ただ、その一方で、研究室の活動に意欲を持てないまま、休学や退学する学生もいた。
無論、僕はそういう学生たちに無関心であったわけではなく、むしろ気になって仕方がなかったのだけど、結果的に何もできず、ただ悔しい思いだけが積み重なっていった。
うまい会議をやる以前に、よい組織を作っていくという、もっと基本的なことで僕は間違っていたのだろう。

また、同じ本には、次のような記述があった。

じっくり考えて間違いのないことを言いたいと思ってしまう、そういう傾向が、特に知的レベルの高い日本人には多いですね。
日本人が世界のいろいろなコミュニティーの中でリーダーシップをとれないのは、そのためかも知れないと思うことがあります。
じっくり考えること自体は悪くありませんが、「外部化されたグループ思考プロセス」にも参加する力をつけてもらうと、思慮深い人の力が、もっと全体に活かされると思います。
深く考える前に発言していただく、そういうクセをつけてもらえるといいですね。

「外部化されたグループ思考プロセス」というのは、以下のようなことらしい。

「いい面や悪い面をすべて考えて、比較検討しよう」
「プロセスを洗い出して、どこにボトルネックがあるのか順番に見ていこう」
そのような枠組みを可視化して示すと、メンバーの意識もそこに集まって、それに沿って意見を出しやすくなります。
何のためにやっているか混乱しているなと思ったら、ツリー状に目的と手段を結んで構造を示すのがいいですね。
部分最適化が全体最適化に優先する議論を無意識にしてしまうことはよくありますよね。
そういうとき、このツリー構造を描きながら議論すると、全員で真の目的を共有することができます。
いったん目的が共有化されると、改めて視野を広げ、もっと有効な、いままで気づかなかったような解決策を考えられることもあります。
「論理を構造化して、可視化して、共有する」
可視化することで思考プロセスを個人の頭の外に出すことができます。
そうやって思考プロセスを外部化すれば、グループで知恵を合わせて考えることができます。

このような、論理的構造を動的に生成してコンパクトに表示することなどは、僕たちのツールでいろいろできそうである。

さらに、アイスブレーク、つまり会議参加者の気持ちを和らげるために会議前あるいは会議中に行うちょっとしたエクササイズあるいはゲームに関して、以下のような記述があった。

皆さんは、運動をする前に準備体操とか柔軟体操とかしますよね。
誰かが背中を押してくれることがあるかもしれませんが、自分で意識的に体の力を抜いて、ストレッチしないとなかなか効果が出ません。
他人任せでは、体の柔軟性も得にくいわけです。
心も同じで、虚心坦懐に人の話を聴く、議論の枠組みに沿って考えてみる、思いついたことを口に出してみるという、開かれた気持ちにするのがアイスブレークですから、アイスブレークの機会に自分の心を自ら開く努力が必要なのです。
体と同じで、心も硬くなりがちです。
硬い心は、他人の意見を軽視し、言葉尻だけを取り上げ、曲解しようとします。
そういう無意識的な拒絶反応が自分の心にはあることを意識して、心のアイスをブレークすると効果的です。

こういうものを読むと、メンバーそれぞれの心の問題というのは、組織の活動において考慮しないわけにはいかない本質的な問題なのだと思えてくる。


似たような話で、「会議、ひと工夫で活発に」と題する、最近の日経新聞の記事には以下のようなことが書いてあった。

2009年1月、サイバーエージェントでは、藤田晋社長の発案で会議室に座布団を運び入れることにした。
よい企画を提案した人に藤田社長が1枚授与。
つまらなかったら取り上げる。
遊び心を取り入れつつ緊張感を与えるのが狙いだ。
5枚以上集めれば社長のブログで紹介される。

発言者を指定するためボールを回す手法もある。
ボールを持った人が話し、その間ほかの人は聞きに回る。
回したり投げあったりすることで、場の盛り上げ効果もある。

(日本経済新聞 2009年3月14日朝刊より)

最初にこれを読んだときは、「何をやってんだ。この会社は」と思ってあきれていたのだけど、こんなちょっとした工夫で会議が盛り上がりアイディアが出やすくなるのならやってみる価値はあるのかも知れない(さすがに、座布団やボールを使うなんていうやり方は避けたいけれど)。

とにかく、僕は学生たちの心に訴えかけるようなファシリタティブな教師になろうと決心したのである。
その成果については、いつかこのブログに書いてみたいと思う。

投稿者 nagao : 01:46 | コメント (1) | トラックバック